「できなかったことができるようになる」「分からなかったことが分かるようになる」
勉強に限らず、これらは喜び以外の何物でもないよなあ、と。
結果的には自分の世界を広げることになるわけで、要は近視眼的にならずに、
課題解決を積み上げていくことによってこんな未来が待っているんだよ、というところを見せてあげることが必要なのかなと。
◆教えるひと (h.b.r.さん)
ものすごくたくさん知っているのに、エネルギーを奪わない人。自分のことをぼんやりと考えてみる。
それが、わたしの好きな教えるひとのタイプだ。
(中略)
わたしの苦手な教えるひとは、足りないところを満たすために教える人だ。
まあ自分で言うことじゃないとは思いますが、僕はなんとかやれているような気がします。
「教えることは教わること」ということが昔から根付いている、というのもありますが
何よりも「わかる」ようにしてあげたいのではなく、「できる」ようにしてあげたいというのが第一にあるから。
そしたらさ、やっぱり「足りないところを満たすため」にあっちゃいけないよね。うん。
◆感覚が追いつくまで (h.b.r.さん)
ただ、わかるようになったら、(自転車に乗れるようになったら乗れない感覚を忘れるように)わからないという感覚がわからなくなってしまった。こういうときはなぜかいつも淋しい気持ちになる。冒頭の話に少し戻って。
未来を見せてあげて、その階段を登っているんだよ、という実感をつかませてあげて、
世界が広がっていることを一緒に喜んであげて…。
でも、こういう「淋しさを覚えるような感覚」というのはどうやったら育めるのだろう。
僕の中にもわずかながらあるけれど、いつ身につけたのだろう。
こういう気持ちがどっかにあれば、もっともっと人に優しくできる人が増えるような気がするんだよなあ。
そのために僕は何ができるのだろうか。
考えることをやめた時が、この仕事をやめる時なのだろうな。